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東京地方裁判所 昭和29年(レ)9号 判決 1955年6月13日

控訴人 佐々木勝成

被控訴人 田中稔久

主文

原判決を取消す。

被控訴人より控訴人に対する東京簡易裁判所昭和二十五年(ユ)赤羽第一一七号家屋明渡調停事件の調停調書につき昭和二十八年五月八日付与せられた執行文に基く強制執行はこれを許さない。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

本件につき東京地方裁判所が昭和二十九年一月二十一日なした強制執行停止決定はこれを認可する。

前項に限り仮にこれを執行することができる。

事実

控訴代理人は主文第一乃至第三項と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上並びに法律上の陳述は、被控訴代理人において「本件賃料債務が取立債務であるとしても、控訴人は昭和二十七年十一月及び十二月分の本件係争賃料につき弁済の準備をなさず、仮に弁済の準備をなしたとしても、その旨を被控訴人に通知してその受領を催告しなかつたものであるから履行遅滞の責を免れない。」と述べた外、すべて原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

<立証省略>

理由

被控訴人より控訴人に対する債務名義として東京簡易裁判所昭和二十五年(ユ)赤羽第一一七号家屋明渡調停事件の調停調書が存し、右調書中には「控訴人は本件係争家屋の昭和二十五年八月一日以降の賃料額が一ケ月金千五百二十五円であることを承認し、毎月末日限り被控訴人の取立により支払うこととする。控訴人は昭和二十六年一月分以降の賃料の支払延滞が二回以上に及んだときは爾後三ケ月の経過によつて賃貸借契約は当然解除とみなされ被控訴人から本件係争家屋の明渡の執行を受けても異議がない。」旨の調停条項の記載が存すること及び被控訴人が控訴人に昭和二十七年十一月及び十二月分の賃料不払ありとして、右調停条項に基き、昭和二十八年五月八日前記調停調書の正本に執行文の付与を受けたことはいずれも当事者間に争がない。

よつて次に右執行文の付与がはたして正当であるか否かについて按ずるに、本件賃料債務が取立債務なることは前記調停調書の記載に徴して明かであるところ、被控訴人が少くとも本件係争の昭和二十七年十一月及び十二月分の賃料については控訴人方に取立に赴かなかつたことは原審並びに当審における控訴人及び被控訴人の各本人尋問の結果に照し疑ないところであり、成立に争のない甲第二号証によれば控訴人は昭和二十八年一月二十八日右二ケ月分の賃料を供託していることを認めるに足り、又原審並びに当審における控訴人本人の供述によれば、控訴人は昭和二十六年一月分以降昭和二十七年十月分までの賃料も被控訴人との間の意見感情の阻隔等のため直接現実の弁済をなすことはできなかつたがその都度供託を続けてきたことを認めることができ、これら認定の事実に徴すれば、本件係争の二ケ月分の賃料についても、控訴人は各その弁済期に被控訴人の取立に応じてその支払をなし得る準備を整えていたものと推認するに難くない。しかり而して本件の如き履行の場所並びに時期の定めあり、しかも受領行為以外に特に債権者の協力を必要としない取立債務の場合にあつては、債務者としては履行の場所においてその期限までに弁済の準備を整えて債権者の来訪を待てば足るものと解すべきであるから、本件の場合控訴人において前記の如く弁済の準備ありと認められる以上、取立に赴かなかつたのはむしろ被控訴人の責任であつて、控訴人には何等履行遅滞の責はない。もつとも民法第四百九十三条には「債務ノ履行ニ付キ債権者ノ行為ヲ要スルトキハ弁済ノ準備ヲ為シタルコトヲ通知シテ其受領ヲ催告ス」べき旨の規定が存し、本件の如き取立債務も債権者の行為を要する債務たることはいうまでもないが、右法条に所謂債権者の行為を要する債務とは給付の主要部分を完成するためにはまず債権者の協力を必要とし、その協力がない限りそれ以上履行の完了に接近し得ない場合を指称するものであつて、本件の如く債務者において単独に給付の主要部分を完成し得、ただ債権者の来訪受領を待つに過ぎず、しかもその履行の場所並びに時期の確定しているような場合をも包含する趣旨ではない。要するに右法条は債権者の協力がなければ給付の主要部分を完成し得ない債務の場合に、債務者が自ら負担すべき部分の準備を整えて債権者に協力を求めた以上、債権者に非協力ありとするも、もはや債務者の責任ではない旨を定めたに過ぎないのであつて、本件の如く債務者において債務の実現につき債権者の受領行為以外に何等の協力を求める必要なく、しかも確定の履行期並びに履行場所の存することにより債権者においても予め受領の時期並びに場所を了知している場合にさらに債務者に口頭提供の責任を加重したものではない。これは信義則の当然の要請であり、前記法条の口頭提供の規定が債務者の責任軽減の規定である趣旨からも肯かれるであろう。しからば本件係争の二ケ月分の賃料につき控訴人より被控訴人に対し口頭の提供があつたか否かを判断するまでもなく、この点に関する被控訴人の主張は失当として排斥を免れない。

次に被控訴人は、被控訴人の居住家屋と控訴人の居住家屋とは隣接しており、かかる隣接家屋に居住する当事者間においては、たとい取立債務の約定をなしても法的拘束力をもつものでない旨抗争するが、いやしくも調停調書に取立債務なる旨を特記した以上、単に至近距離に居住するの一事のみを以ては右取立債務条項の法的効力を否定する論拠に乏しく従つて被控訴人の右主張はこれを採用し得ない。もつとも情誼上の観点からすれば、隣接家屋に居住する者同志の間にあつては、たとい調停条項に取立債務の文言があつても、これに拘泥することなく、双方の都合により随時取立又は持参の方法により円滑に事態を処理することこそ望ましいところではあるが、当事者間の円滑を欠き、法的手段によつて事態の解決をはからんとする場合には、原則に立返つて取立債務の立場より事を処理する以外に途はない。

又原審証人池沢進の証言、原審並びに当審における控訴人及び被控訴人各本人の供述に照せば、控訴人が昭和二十六年一月及び二月分の賃料を小切手を以て訴外池沢進を使として再三被控訴人方に持参せしめたが、小切手の故を以て受領を拒絶された事実のあることを認めることができるが、この事実のみから被控訴人の主張するように本件取立債務が持参債務に変質したと即断することは早計のそしりを免れない。

以上説示のとおりとすれば本件債務名義に対する執行文付与の条件たる昭和二十七年十一月及び十二月分の本件係争賃料の支払につき控訴人には履行遅滞の責任がないことが明かであるから本件執行文の付与は失当というの外なく、従つて控訴人の本件異議の主張は理由ありというべきである。

よつて右と判断を異にする原判決を失当として取消し、控訴人の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条、強制執行停止決定の認可及びその仮執行の宣言につき同法第五百四十八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古山宏 江尻美雄一 川添万夫)

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